『ゆかいなヘンリーくん』のシリーズ(学研)は
アメリカの子どもたちの生活がユーモアたっぷりに
生き生きと描かれていて、とても楽しいシリーズ。
同じ作者の作品、登場人物もほとんど一緒で主人公が変わるので
同じシリーズにまとめられていますが、
私にとっては『ヘンリーくん』のシリーズと『ラモーナ』のシリーズは独語の印象がだいぶ違い、おすすめポイントも微妙に違うので、
こちらでは2つのシリーズとしてご紹介します。
まずは『ヘンリーくん』のシリーズ。こちらのシリーズはとにかく風通しのよさというのが私のおすすめポイント。じめっとしたところがなく、気持ちよく爽快に読めます。
日常に起こりうる出来事が大騒動になったり大冒険になったり…こんなつもりじゃなかったのにいつの間にか騒動の中心にいるヘンリーくん。
決して強烈なキャラクターではありませんが、ついつい応援したくなる、幼なじみのような親しみがあり、私にとってはもはや親戚の男の子のような存在です。
TVゲームもインターネットも普及していない頃のお話なので、現代の子どもたちの生活様式とはだいぶ違うのかもしれませんが、犬を拾ったり、グッピーを飼ったり、友だちと秘密の暗号を作ったり…ということは、今でもあるのでは。
一方で『ラモーナ』のシリーズは子どもの心の動きがユーモアたっぷりに描かれていて、楽しいと同時に若干いたたまれない気持ちになることもあるくらい。
「豆台風」のような子のラモーナですが、実際はとてもセンシティブ。両親や先生にもほめてもらえるような良い子でもいたいけど、思いついたことをやってみずにはいられない・・・という葛藤は子どもだけのものではありませんよね。
でも、子どもだからこそのストレートさでぶつかって、失敗して、落ち込んで…成長していくラモーナを応援したくなります。
また、ビーザスとラモーナという正反対な姉妹のそれぞれの内面の葛藤を見事に描いているところもすごい。…姉妹の方は特に共感できるのでは?「うちの姉妹みたい!」「うちはこの逆のパターンなの」という申告多数(笑)
私はひとりっ子ですが、私の中にいるラモーナ的な部分とビーザス的な部分が、それぞれの言い分や葛藤に大いに共感。どちらの気持ちもひしひしとわかってしまいます。
子どもなりの理論、プライド、自分のことをわかってもらいたい気持ち、大人の些細な言動に傷ついたり、絶望したり…子どもの頃に感じていたもやっとしていた感情が丁寧に書かれていて、自分の事を書かれているようで思わず本を閉じたくなることもしばしば。
人から見られる自分の姿と本当はこうなりたいという自分の姿との間で揺れ動く子どもの気持ちが丁寧に描かれていて、見事です。
それぞれの味わいは違いますが、登場人物も舞台も同じなので『ヘンリーくん』経由で『ラモーナ』を読んだり、その逆のルートで読んだり…シリーズを通して読む楽しさもあります。
ヘンリーくんの視点で見たビーザスとラモーナ、ビーザスの視点から見たヘンリーくんとラモーナ、ラモーナの視点から見たヘンリーくんとビーザス、どれもが少しずつ違っていてその違いを楽しむのもこのシリーズの面白いところです。
同じクリアリーの著書で『いたずらっこオーチス』と『ひとりっ子エレンと親友』という作品があり、こちらはいずれも1冊読みきり。
どちらも読みやすく、楽しいお話で大好きだったので今は品切れ重版未定になってしまっていて残念です。