リンドグレーンの作品が大好きなので、ことあるごとにおすすめしていると「リンドグレーンの作品でどの作品がいちばん好き?」と聞かれることが多々あります。
どの作品もそれぞれに好きなので1冊だけを選ぶことはどうしてもできないのですが、リンドグレーンの作品の中で最も読み返しているシリーズは今回ご紹介する『やかまし村の子どもたち』のシリーズです。
舞台となるやかまし村はスウェーデンのとってもとっても小さい村。
その村には北屋敷、中屋敷、南屋敷の3軒しか家がありません。 子どもたちは豊かな自然の中で四季と共に、学校に行き、時にはけんかをし、お手伝いをして過ごしています。
彼らは遊ぶこと、楽しむことの天才です。登下校もお手伝いも…何気ない日常生活の中にワクワクの種がたくさん散りばめられています。
リンドグレーンが自身の子ども時代を「遊んで遊んで遊び死にしなかったのが不思議なくらい」と語っており、やかまし村の子どもたちはリンドグレーンの子ども時代そのものなのかもしれません。
所謂、大事件が起こるわけでも不思議な出来事が起こるわけでもありませんし、ピッピや屋根の上のカールソンのような個性的な登場人物が出てくるわけでもありません。それでも、ひとたびこの本を手に取り、ページをめくれば、やかまし村の子どもたちがめいっぱい遊んで、めいっぱい暮らしを楽しんでいるということだけで、多幸感に満ちた世界が広がります。
私が『やかまし村の子どもたち』を最初に読んだのは『長くつ下のピッピ』シリーズを読んだ後でした。
1冊目の『やかまし村の子どもたち』を両親からプレゼントされ、すぐにやかまし村が大好きになりました。どうして、あんなに一気に夢中になったのかは今はもうわかりません。
子ども同士でお買い物に行って間違いのないように買って帰ってこられるかのドキドキ感、初めての子守りの張り切る気持ちと挫折感、大雪で意地悪な靴屋さんのところで親のお迎えを待つ心細さ…全く同じ体験ではないけれど、自分自身が知っている体験・感情とやかまし村の子どもたちの生活が絶妙にリンクしたのかもしれません。
とにかく早く次の本も読みたくて、お手伝いをしてお小遣いを稼いで(当時、我が家はお手伝いをしてお小遣いをもらう制度でした)2冊目、3冊目を手に入れたのを覚えています。
自分で手に入れた本というのもあって、少しでも長くお話を読んでいたくて自主的に早起きをし、布団の中でそれこそなめるようにお話を読んでいました。
この頃のことは「目が覚めると、隣の布団の小山の中から(ふふふ…)と笑いが漏れてきてぎょっとした」と今でも母には笑われています。
そんな風に、あまりにも何度も何度も読み返したせいで、やかまし村のシリーズに書かれているエピソードがすっかり自分の思い出の中に組み込まれてるので、
雨の日で外に出かける予定がなくなれば「お母さんに教えてもらったカステラづくりができるなぁ」とすぐに思いますし(※『雨の降るとき』のエピソード)
クッキーを焼くとなったら「ブタの型を真っ先に使おう!」(※『やかまし村のクリスマス』のエピソード)と思います。
おつかいに行くときは「あぶりソーセージの歌」を(※『アンナとわたしのお買い物』に出てきます)もちろん楽譜はないのでオリジナルの鼻歌(笑)で意気揚々と口ずさんでいました。
また、スウェーデンがどこにあるのかもわからないのにスウェーデンの行事や風習にやたら詳しくなりました。
クリスマスに食べるおかゆにはアーモンドが入っていること、
アーモンドが入っていた人は次の年に結婚するといわれていることは、他のお話にもちょくちょく出てくるエピソードなので私の中では当たり前の出来事でしたし
夏至がいつなのかも知らなかったけれど、夏至の夜に垣根を9つ乗り越えて9種類の花を摘んで枕の下において眠ると将来結婚する人の夢をみれるというのを少なからず信じていて、気恥ずかしくて誰にも言いませんでしたけど、大きくなったらやってみたいと思っていました。
また、当時の私は自称魔女研究家でもあったので、やかまし村のみんなが復活祭で魔女の仮装をして「ブロッケン山」に行く遊びをする章を読んだときは大興奮。
「ブロッケン山」といえばプロイスラーの『小さい魔女』にも出てくる魔女にとっては聖地のような山なので「どの国でも魔女はブロッケン山に行くんだね!!」と得意満面で母に報告をしたものです。
現在進行形で自分が興味のあることとお話の中の出来事が見事にシンクロしたことで、よりこの物語が自分にとって身近なものに感じた瞬間でした。
自分では一切経験したことのないことなのに、何度も読んでいるうちに想像していたことが体験の一部になるというか…いつの間にか想像で体験したことがそのまま私の思い出に組み込まれているような不思議な感覚です。お話を読み返しているのと同時に、自分自身の記憶をたどっているような懐かしい気持ちになるのです。
このシリーズが多くの人に愛されているのは、私以外にもそんな風に思っている人が多いのかもしれません。
…私がおばあちゃんになってもこのシリーズを読み返すと思いますし、その頃には自分はやかまし村の子どもだったと思い込んでいるかもしれません。